「劉さんはちょうどいいときに来られましたわ。『金明池』を作り終えたところです。柳如是の旧韻を使ったんです」
便箋の上の墨はあきらかに乾いており、直した痕跡も見当たらず、作り終えたばかりではなく、とっくに写しておいたものであることはすぐに分かった。その可愛らしい嘘を暴くには忍びなく、便箋を手に取って注意深く読んだ」『喪服の似合う少女』大久保洋子訳P216
<作者紹介>
1988年生。
復旦大学古籍研究所古典文学専攻修士課程修了。
在学中復旦大学推理協会所属。
2018年『元年春之祭』にて読者への挑戦を凝らした本格ミステリ作品を上梓。
『雪が白いとき、かつそのときに限り』『文学少女対数学少女』、『ガーンズバック変換』、『盟約の少女騎士(スキャルドメール)』 など。
本格ミステリ作品への趣向にも高い評価を得ている作者だが、ジャンルとしての「百合」作品にもしばしば著者は熱のこもったコメントをする。
<あらすじ>
1930年代の中華民国、省城で聖徳蘭(サンタテレサ)女学校の生徒が行方不明になった。
探偵の劉雅弦(りゅう・がげん)は葛令儀(かつれいぎ)から姿を消した女学生の生徒の学友・岑樹萱(しんじゅけん)の捜索の依頼を受ける。
都市の中に残された彼女の痕跡と関係者の証言を辿り、ようやく少ない手がかりの糸口を見つけた劉だったが、道中で不審な男性に襲撃される。
「葛家のことには金輪際、首を突っ込むな」と警告された劉は依頼主への疑念を抱きながらも。真相を確かめるべく調査を開始する。
<都市と郊外の狭間で──芽吹かれた私立探偵──>
ときに錯綜し、ときに複雑な構図を展開する事件の真相へ探偵は裁定者のように鮮やかな発言を残しながら事件の謎解きを展開するものだが、本書の探偵・劉雅弦はこの事件に出会うことで再び時代の奔流に置かれた無力感とそこで生き延びていく強かさを再認したのではないか。少なくとも、探偵行為によって陥りがちな、事件の関係者へ裁きを下したかのように振舞うことができる立場に「謎を追うことへの代償(代価)」を突き付けるものだった。
いわゆる戦間期を舞台とした空間を駆け回る探偵の視点から浮かび上がるのは、栄華を享受していた都市の衰退した姿と貧民街の中でも生き抜いた人々の姿である。
ロス・マクドナルドを標榜しつつも、それを換骨奪胎して書かれた本書は探偵の姿によって浮かび上がるものが人々の犇めき合う都市の風景のみならず、打ち棄てられた郊外の空間を見通しながら人間心理の表裏にへばりついた明暗を薄暗く冷たい視線で見つめていた。
この著者の作品は初読みでしたが、中盤以降での捻りの効いた展開は、まさにロス・マクドナルドの作風にみられた本格ミステリ的な意外性の骨組みを露わにさせたもので著者の中で育ち、そして独自にそれを作風に織り込まんとする筆致へと昇華されているものがありました。
個人的には終盤での漢詩が引用される部分での心理描写は、陳舜臣の作品を思わせるような抒情を味わうところがありました。ここぞ、という時に漢詩が使われるのはやはりいい。
少しくすっと笑ってしまうのは、いわゆる「百合」のような場面が本書にも書かれていたことだ。しかし、それは本書の謎がどのようにして起きてしまったのか、そして謎に隠された真相が明らかになったことで見つめ合うことならざるをえない人間の清濁併せ持つ恩讐の姿を表しているものだった。
偶然眼にしてしまったので、ここに書いて置きたいが推協賞の直後に著者はX上で「無力」と呟いておられたが、ときに無力であろうと謎に惹きつけられ、酸いも甘いも経験し彷徨い続けながら残されてゆく痕跡は無力の一言で引き換えられるものでは決してないのだとわたしは言いたい。